医療生協発足60周年
~築き上げた信頼と歴史⑨~

津地域委員会ニュース きずな 2022年2月号

林友信 先生(医師)

連載でお届けしている『医療生協発足60周年』企画。

今月は、民医連医療を柱として掲げた約45年間を林友信先生とともに振り返ります

■みえ医療福祉生協の歴史

 みえ医療福祉生協を構成する5生協のうち、最初の3生協は大きな台風や集中豪雨で甚大な被害を受けた地域への全国的な支援活動の中で生まれました。医療面で全国民主医療機関連合が派遣され、仮設診療所や健康相談活動を行い、これを契機に地元で診療所を作ろうと地域の人々が医療生協を立ち上げたのです。津医療生協柳山診療所、桑名医療生協伊賀町診療所、伊勢度会医療生協伊勢民主診療所です。

■赴任、そして三重民医連の設立

 私は、県立一志病院の内科に居た時に、柳山診療所の副所長の村田尚先生が療養されることになったので、1974年春に急きょ柳山診療所に赴任しました。当時のメンバーは、加藤了所長、木場藤一郎医師、向井智志医師、まもなく日比俊一医師が赴任。岩谷良政医師が秋田中通病院研修中の頃でした。
 村田先生は三重県の民主的な保健・医療の実現のため生涯奔走された方で、入院療養中にも高茶屋診療所の建設、三重県保険医協会の設立、そして津生協病院の構想のために奮闘されました。
 1976年に高茶屋診療所が設立され、3つの診療所の参加のもと、三重県民医連が発足し、1979年に念願の津生協病院が開設され、中核病院を持つ今の三重民医連が出来ました。

■医師としての志と退職

 私は、昨年3月に80歳を機に退職するまで、約45年間を「民医連医療」を実践する医師として過ごしました。「民主的な集団医療体制」「疾病を生活と労働の中でとらえる目と構え」「医療活動方針を作り実践し、総括する」「県下の病院として初めての訪問看護師の配置と在宅医療部の設立」などが懐かしく思い出されます。

■新病院への期待

 新しく設立される病院が、みえ医療福祉生協を母体として、三重民医連の中核病院としてますます発展されることを祈念します。

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